2019年7月

いなかのせんきょ 藤谷治

  • 2019.07.31

北国の山間の村。メルヘン調の新しい駅舎があって駅前は何も無い。村には会議室などを完備した立派な記念館があるけど誰も来ない。道だけは広く整備されているけど車も走っていない。田んぼの中にも広い道路があってそこだけはトラックが猛スピードで村を通過してゆく。平成の市町村合併の策略に失敗した村長が辞任し村に選挙が始まる。果たしてこの村は外から資本を入れて発展してゆくのか、それともこの村らしさを発見して身の丈 […]

土を喰う日々 水上勉

  • 2019.07.26

家の裏庭に一年を通じて野菜を作っておき、春になれば近くの山に入って山菜を採り、秋はまた近くの山に入って木の実や茸を採り、収穫に少し余裕があれば少し手を加えて保存できるようにしておく。急な客人が来たら、畑を覗いてみて工夫してもてなす。近くには豆腐屋と魚屋があれば、それで十分。水上勉さんが十二か月を通じて実践した元来の日本の食卓。コンビニエンスストアが無い時代は、裏庭がその機能を果たしていた。裏庭の畑 […]

ひゃくはち 早見和貴

  • 2019.07.20

中学生の時に凄く仲の良かった友達。部活は野球部。でも野球が下手くそで、ずっと球拾いとグランド整備ばかり。バットを持っている時間よりも、トンボを握っている時間の方が長い。でも、毎日絶対に休まずに練習に行く。ある日「そんな試合にも出られんと球拾いばっかりやらされるんやったら、もう辞めてもええんちゃうん?」と聞いたら「俺、野球無茶苦茶好きやから、球拾いでもええねん。」と言う。三年生になってもずっとグラン […]

笑う食卓 面白南極料理人 西村淳

  • 2019.07.19

大学時代に所属していた山岳部は、本当は「山楽部」と書くのではなかったのかと今にして思う。大抵の場合において大学山岳部の山行というのは、目的のルート達成のために食料の軽量化を計り、綿密な計画と日々のトレーニングによって目標を達成する場であり、従って山は食の楽しみを追求する場所ではない。しかし、僕たち山楽部は食糧計画の中に「軽量化」という概念は全くなく、ひたすら山の食事にクオリティを追求していた。冷凍 […]

クサリヘビ殺人事件 蛇のしっぽがつかめない 越尾圭

  • 2019.07.18

スポーツ中継をライブで見ることができず、やむを得ず録画して観ようと思い、ビールを買って帰ってテレビの前に座ったところで、誰かにゲームの結果を告げられてしまったとしたら、きっとその結果を告げてしまった人のことを恨んでしまうだろう。苦い珈琲でも淹れて、さあ今から楽しみにしていたミステリー小説を読むぞ!と思ったところに、その小説のあらすじや感想を言われたら、これまたその人のことを恨んでしまうだろう。運の […]

私の食物誌 吉田健一

  • 2019.07.15

福井県というところは実に食べものの旨いところである。冬は越前蟹。観光客は雄の楚蟹(ズワイガニ)を食べる。地元の人は専ら雌の勢子蟹(セイコガニ)を食べる。雌がお奨めだが、漁ができる時期は限られている。夏は鯖。串に刺した丸鯖を炭火で焼いたものを魚屋の店頭で売っている。半夏生には地元の人は焼き鯖を食べる。若狭ではカレイやフグが旨い。厚揚げ。福井の厚揚げと他の地域の厚揚げは掌に載せて比べると簡単に違いがわ […]

ヒルクライマー 高千穂遥

  • 2019.07.09

自転車で坂道を上るヒルクライムレース。偶然にそのレースを見てしまったがために、翌週からヒルクライムにのめりこんでしまい、家族関係に問題を作ってしまうまでに至った中年の男。長距離陸上界の将来を期待されていたのに、駅伝に興味がなく大学を中退してしまい、偶然に兄の友人から譲り受けたロードバイクが機でヒルクライムを始めることになった若者。キャバクラで働きながらヒルクライムを続けている女子。オリンピックを目 […]

雪国 川端康成

  • 2019.07.07

伊豆で年を越したことがある。修善寺の新井旅館に泊まった。明治5年創業の老舗旅館。建物もほぼ当時の状態で使われている。新井旅館は大きな池の上に建っている。創業当時はまだポンプというものが無かったので、宿の周りに川から水をひきその水圧を利用して地下から温泉の湯を汲み上げたのだそうだ。玄関を通り池に面した幾つかの渡り廊下を渡って部屋に案内される。奥の部屋に辿り着くためには廊下を何度も曲がりそのたびに違う […]

リーチ先生 原田マハ

  • 2019.07.04

日本をこよなく愛し日英両国の芸術の発展に功績を残したバーナード・リーチが、柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎たちと友好を深めた明治から大正の実話を織り交ぜてフィクションに仕立てた小説。 バーナード・リーチは昭和に入って陶芸の指導で鳥取を訪れています。鳥取の医師である吉田璋也が柳宗悦を師として仰いでいたことから、バーナード・リーチは濱田庄司と共に鳥取を訪れたとされています。吉田璋也がつくった鳥取民藝美術館 […]