i  西加奈子

  • 2020.09.26
i  西加奈子

10年以上前にアメリカのユタ州に仕事で定期的に行っていた頃、いかつい身体のボブがよく世話をしてくれた。ボブには四分の一日本人の血が混じっていて、血が繋がっている日本人が一人だけ存命で名古屋近郊に住んでいた。そのボブが一度だけ日本に来た事があって、翌日に名古屋に行きたいと突然言い出した。住所を知っているだけだから一人では行けないし、言葉も通じないから、僕に一緒に来てくれと言う。もしも留守で会えなかったとしても、どんな街に暮らしているのか知るだけでも構わないので、兎に角連れて行って欲しいと言う。

翌日二人で新幹線に乗り教えたもらった住所を頼りにその方を訪ねた。初めて出会った二人は僕の拙い通訳を介して、唯一の共通の知り合いであるボブのお婆さんの事を語り合い、出会えて良かったと握手してハグして別れ、そしてまたボブと僕は新幹線で東京に帰ってきた。 行きの新幹線では富士山を見て少しはしゃいでいたボブは、帰りの新幹線では何も話さずに真っ暗になった外の景色をずっと見ているだけだった。僕はその日のボブの気持ちを理解しようにも、正直なところ想像が出来なくて、遂にボブに話しかける事が出来なかった。でも、東京駅に着いた時に、「今日は名古屋に行けて本当に良かった」とボブがポッリと言ったので、少しだけ良いことできたのかなと感じた。
i は、血のつながり、国籍、人種、性別、など様々な観点でルーツとは何だろうと考えさせられるお話。どんなにぐちゃぐちゃに見えても、きっと自分は存在し光り輝いている。あの日ボブが見ていた真っ暗の景色はどんな風に見えていたのだろうか。

本: 「 i 」 西加奈子
ブックカバー: 文明堂総本店